芝 からだ・ぶんかラボ

触覚は世界にリアリティを与える-備前焼の展覧会で触覚について考える-


2019年4月19日

東京国立近代美術館工芸館

先日、東京国立近代美術館工芸館にて催されている「The 備前―土と炎から生まれる造形美―」に行ってきました。

古備前の名品から、近現代の作家の作品まで幅広く展示されています。

ただ見るだけでなく、思わず手を触れたくなるような作品ばかりです。

実際に触れてその質感を味わうことができたらどんなに素敵でしょう。

そこで今回は触覚について考えてみました。

 

触覚は世界にリアリティを与える感覚である

 

触覚は私たちと世界を結ぶ根源的な感覚です。

触覚があるからこそ「いま、ここにいる私」という存在を確信できます。

そして対象に触れることによって、そのもののリアリティを実感できるのです。

哲学者のミンコフスキーは、もし触覚がなければ他の感覚でとらえた世界の相貌はすっかり変わってしまい、この世界は雲散霧消してしまうだろうと述べています。

触覚とは世界と私の関係を成立させる基盤となる感覚なのです。

 

「木に触れる」の「に」の意味とは?

 

書家の石川九楊氏は、「触覚は相手を対象化しない」として次のような例で説明しています。

・山を見る:視覚
・音を聞く:聴覚
・匂いを嗅ぐ:嗅覚
・刺し身を味わう:味覚
・木に触れる:触覚

五感のうち触覚以外は助詞が「を」なのに対して、触覚だけ「に」であることがわかるでしょう。

「を」を用いるということは、視覚は「山を」、聴覚は「音を」対象としているということです。

それに対して触覚は、人間と対象が独立した関係ではなく、相互依存関係を残しています。

こちらが触れるとあちらが触れ返してくる。

人間と対象が離れて存在しているのではなく、働きかけると働き返されるという関係が成立している、それが触覚における「に」の意味であると指摘しています。

つまり触覚は対象に直接触れる近接感覚としての傾向が強いので、そこにリアリティが生まれる感覚と言えるでしょう。

そしてそのとき、より根源的な快、不快といった情動が生まれ、私たちの意識や行動に影響を与えるのです。

 

様々な触覚体験を積み重ねよう

 

私たちはこの根源的な感覚である触覚の大切さについて再認識する必要があるのではないでしょうか。

ある研究では、裸足で遊ぶことや泥んこ遊び、そして両親とのスキンシップが少なかった人は、情緒不安定になったり、他人との関係がうまくとれなかったりする傾向にあると報告しています。

精神分析医のアンジューは、皮膚感覚は人間の子供を出生以前から限りなく豊かで複雑な世界へと誘うと述べています。

換言するなら、皮膚感覚は知覚‐意識系をめざめさせ、存在感覚の基礎を形づくり、最初の心的空間形成の可能性をもたらすということなのです。

つまり皮膚で触ることによって生じる触覚は、私たちにとって最も信頼できる世界認識の機能であると言うことができるでしょう。

幼い頃から多様な触覚経験を積み重ねることにより、他者の気持ちを思いやり、共感する力が育まれます。

したがって共感力を育み、豊かなコミュニティを構築するためには、ゲーム空間のようなバーチャルな世界に没入するだけでなく、皮膚感覚=触覚でつき合う経験を多くすることが必要なのではないでしょうか。

今一度、私たちは世界にリアリティを与える触覚の重要性を認識したいものです。

今回のような展覧会では作品に触れることは難しいでしょう。

でも世の中は造形物であふれています。

普段使いの食器でもいいのです。

様々なものに触れる-触れ返されるという経験を細やかに積み重ねていきたいと思います。

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