芝 からだ・ぶんかラボ

「曖昧」とは成熟である?-あわい(間)について考える


2019年6月9日

きっぱりと境界線を引き二者を峻別する。

 

とてもシャープな印象です。

 

でも境界を曖昧にしておいたほうが、うまくいく場合もあるかもしれません。

 

「あわい」を意識して患者に触れる

 

例えば治療で患者さんに触れるとき。

 

触れるという行為は、相手の心に入り込む行為でもあります。

 

そのため不用意に行うわけにはいきません。

 

以前の記事で、患者さんの周囲の空間へ入り込むときの配慮について書きました。

 

じかに触れるのなら、なおさら気を遣わなければなりません。

 

まちがっても患者の身体を無視した一方的な治療を施したり、患者の身体に過度に共振して「負のエネルギー」をもらってしまうという事態は防がなければなりません。

 

ではどのようにすればよいのでしょうか?

 

臨床心理学、身体心理学を専門にしている山口創氏は、自分と患者の間の「あわい」に意識を向けながらスキンシップするとよいと述べています。

 

「あわい」とは日本人独特の境界感覚。

 

日本人にとっての境界は、自己と他者というようなお互いに峻別することによる排斥関係ではありません。

 

むしろ二者の境界を曖昧な状態にすることで未分化な混沌が生まれ、その中にこそ自己を感じられるような境界感覚が「あわい」ということになるでしょう。

 

この「あわい」が意識できれば、触れた手から患者の身体の状態を意識しつつ、それに対する自分の感にも同時に注意を向けられスキンシップが深まることになるのです。

 

「あわい」を意識した人間関係

 

「あわい」は皮膚の接触に限らず、人間関係においても大切な意識かもしれません。

 

とかく人づき合いには軋轢がつきもの。

 

軋轢とは自分と相手どちらが正しいか、すなわち白黒はっきりさせたいときに生じるものです。

 

精神科医の斎藤環氏は、常に白黒はっきりした世界に住んでいる限り、人はなかなか成熟できないと述べています。

 

そのような世界では、対人関係は「敵か味方か」という素朴な二元論に支配されてしまうでしょう。

 

そうなると味方と認知できた人とは簡単に親しくなれるかわりに、些細なことからすぐに喧嘩別れになったりと非常に不安定な関係しか築けません。

 

つまり斉藤氏によると、成熟の条件とは「価値判断が極端化していないこと」、白か黒かだけでなくグレーゾーンを認められることということになります。

 

このグレーゾーン、どうやら「あわい」という境界感覚の曖昧な状態と通底したもの言えそうです。

 

「ものごとを曖昧にする」-。

 

なんとなくネガティブな響きがありますが、見方によっては二者の関係を円滑にする「知恵」ととらえることができるかもしれませんね。

 

「あわい」を意識して人と関わる。

 

言うは易く行うは難し。

 

まずは目の前の小さなことから実践したいと思います。

このエントリーをはてなブックマークに追加